小村寿太郎候



 飫肥の生んだ明治の偉大な外交官。1855年9月生まれで、1861年に藩校「振徳堂」に入学しました。安井息軒が先生としていた頃です。振徳堂を優秀な成績で卒業した14歳の寿太郎は、小倉処平につれられて長崎に留学し、15歳で飫肥藩の貢進生として大学南校に入学しました。17歳で明治天皇を前に講演を行っています。20歳でハーバード大学に入学し、帰国後大阪裁判所に勤めた後、外務省に入省しました。1901年46歳で外務大臣に就任し、1905年9月5日に日露講和条約をアメリカのニューハンプシャー州ポーツマス市で調印しました。1911年56歳の時に勲功により爵位(侯爵)を授けられ、外務大臣を退任。その年の11月に亡くなりました。日南市では、1985年に日露講和条約80周年を記念し、ポーツマス市と姉妹都市を結びました。