宮崎県日南市の芸能 シャンシャン馬道中唄、泰平踊、四半的


日南市の芸能


民謡「シャンシャン馬道中唄」
シャンシャン馬道中唄(歌詞)
鵜戸さん参りは 春三月よ 参る 参る
その日がご縁日 参りゃとにかく
帰りのせつは つけておくれよ 青島へ
鵜戸さん参りに 結うたる髪も
馬に 馬にゆられてみだれ髪
音に名高いせびらの峠坂は
坂は七坂七曲がり
鵜戸さん良いとこ 一度はおいで
一目 一目ぇ千里の灘がある
行こか参ろうか 七坂越えて
鵜戸の神社は結び神

 

シャンシャン馬の由来
宮崎では大正の初め頃まで、結婚すると必ず鵜戸神宮へお参りをする風習があったといわれています。新婚夫婦は手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)にわらじばきという旅姿で、日南海岸沿いの七浦七峠を越えてお参りしました。 これは、美しく飾った馬に花嫁を乗せ、花婿が手綱を取りながら旅をしたもので、その際馬につけてある鈴が、道中シャンシャンと鳴り続けたことから「シャンシャン馬」と呼ばれるようになったそうです。

シャンシャン馬道中唄全国大会
毎年3月下旬に当市文化センターで予選、鵜戸神宮にて決勝が開催されます。 詳しいお問い合わせは、同実行委員会事務局(電話 0987-31-0606)までお願いします。


泰平踊(たいへいおどり)
泰平踊りこの踊りは、飫肥に元禄の初めから伝わる郷土の舞踊で、往時飫肥藩の一大行事として毎年盂蘭盆に催された格式ある数々の舞踊の中で、今日まで完全な形で伝承される唯一のものです。
現在は宮崎県の無形文化財に指定されています。 この踊りは、姿勢の高低によって二流があり、泰平の世の象徴である鶴亀を型どったといわれています。いずれも深編笠に面をつつみ、羽二重の熨斗目の着流しに朱鞘の大刀落し差し、腰に揺らぐ印篭もゆかしく、舞いは武芸十八般に型どり優美な中に毅然たる武士の気魂のしのばれる典雅な舞踊です。
音曲は古来のものでありますが歌詞は毎年新作される習わしであって、現在伝わっておりますのは一流にありては幕末飫肥藩の才媛門川加世によって作詞されたもので参勤交替の御用船の船歌「島廻り」を集成したものでありまして、名勝日南海岸国定公園の津々浦々を詠み込んだ郷土色豊かな恋の歌であり、一流にありては初代藩主報恩公の功績をたたえたものであります。この様にその外観的優美さに於いて、その歴史的伝説の古さに於いて又その郷土色の豊かさに於いて極めて特色ある郷土芸術で昭和三十七年四月二十八日、宮崎県無形文化財指定を受けており、日本的にその名を知られている舞踊であります。

泰平踊歌詞

  • 鶴組
    千代のはじめのひとおどり
    松坂越えてサアヤアー
    旅衣きつつなれにし舟人の
    ちらと恋風帆に受けて
    思う港にこがれてぞ
    よるべ定めぬ一夜づま
    なさけかりねの床の海
    わが外浦とちぎりしも
    はや出しをのうきわかれ
    しばし袂にさがり松
    やがてくだりて大堂津と
    あきらめいよと引きよせて
    せめて大島はだかばへ
    黒髪なでて七つのはえ島田
    伽羅の油津匂はせて
    花の名に負う梅ヶ浜
    色に出でしを平山や
    うはの空吹く風田さへ
    松に音するなら磯と
    大浦み言うもいとしさの
    胸に思いをたたみ岩
    かたい妹背を神かけて
    祈る誓いを高千穂の
    恵みをくやむ母も川
  • 亀組
    千代の初めの一ト踊り
    松坂越えてヤーサ
    祝え唱えやいざ倶に
    老も若きも押しなべて
    声は四海に溢るまで
    君の栄を祝うべし
    舞鶴城址を眺むれば
    世は様々に変われども
    変わらぬ操常盤木の
    松の梢の影高く
    雲かと見しは紫の
    色のゆかりの藤の花
    吹き添う風の音聞けば
    昔語るにさも似たり
    心ゆかしく思うまま
    宿の主に能く問えば
    頃は天正年間に
    智勇兼備の国守とて
    勲功輝く報恩公
    国の礎建てませし
    其の御恵の深みどり
    朽ちぬ誉の御稜威をば
    仰ぎて今日の御祭に
    仕えまつれる人々の
    心の程をみそなはし
    尊霊の幸をかかぶりて
    尚ほ行先も恙なく
    送る月日の楽しさよ
    君よ千代ませ八千代ませ
    君の栄を祈るなり

四半的(しはんまと)

四半的島津、伊東の戦国時代、農民が竹の半弓を持ち、戦に参加し、勝利に大きく寄与した功績により娯楽用として弓矢を持つことを許したと伝えられ、現在、目南市の無形民俗文化財に指定されており、競技としても広く親しまれています。

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