(2009年4月号掲載)
代表取締役会長 丸山哲弘(84)代表取締役社長 丸山 賢(61)
有限会社・すしの丸安(祇園町)

―祇園町のすしの丸安におじゃましています。市内でも老舗の寿司店とうかがってますが。
丸山(哲) 現在営業している寿司店としては市内で二番目に古く、現役の経営者では私が最長老でしょう。開業は昭和二十五年十一月二十三日。今山八幡宮の秋祭りの日でした。最初から寿司店だったわけではなく、食堂兼喫茶店みたいな店でした。当時、この祇園中通り周辺は畑が多く、おじが経営する映画館(東宝祇園館)のほか、焼け残りの店が二、三軒あったぐらい。その映画館の経理を手伝っていて、その副業みたいな形で始めたのが最初です。
おじは最初「ふぐ安」という料理店をしており、そこに料理見習いでお世話になったのが、この道に入ったきっかけです。私の名字の一字とおじの店の一字を取って「丸安」と名付けました。「丸」はお金に通じますので、文字通り安い価格で営業を始めました。
当時は米が配給で、営業としては扱われませんでした。一年後から米はお客さまが持ち込み委託加工する形式で黙認されるようになりました。

―寿司店となったのはいつからですか。
丸山(哲) 店を開いて一年ぐらいしてですね。おじの肝いりで大阪から寿司職人を呼び、大阪寿司を始めました。にぎりを主体に押し寿司、巻き寿司、蒸し寿司などを出すようになりました。九州は暖く、濃厚な味を好む傾向がありましたので、関西風の濃い味付けが合っていたのです。塩や砂糖を多めに入れることで、腐敗が遅くなり、日持ちするという側面もありました。
当初はネタ集めにとても苦労しました。福岡県柳川市の赤貝生産業者を訪ねて送ってもらったり、シラスエビは大分県中津市、トリガイは広島県の業者、マグロは築地の専門業者とあちこちの業者を探して集めました。地元でも当時は、北浦からクエや、いいマダコが入っていましたね。
―延岡の寿司店のパイオニアだったのですね。
丸山(哲) カイワレ大根を寿司ネタに使い出したのも、私が最初でしょう。自分で栽培しお吸い物に使ったらおいしかったので、それを使ったお寿司を作り始めました。今ではどこの店でも出していますが、私が最初でした。
ネタケースも冷凍機で冷やす形式は、一番最初に導入しました。近くの甲斐冷機に相談して作ってもらいました。冷房装置を作ったのも市内の飲食店では一番最初でしょう。甲斐冷機と一緒に、くみ上げた地下水(15度前後)を噴霧器で霧状にしてダクトを通して冷凍機と併用で冷やす方法を考え出しました。2―5度ぐらい温度が下がり、涼しかったですね。
日豊海岸では当時、良質のウニが多く取れていました。そのウニをネタに使い出したのも延岡では一番最初。法人化したのも、飲食業界では私と新茶屋が最初でした。
当時は、東京、大阪に年二回ほど行っていました。食べ物店をはしご食いしながら見て回ったり、バラン細工の名人に話しを聞いたり、日本一の酢じめ技術者と交流したりして勉強させてもらいました。
―今後の抱負を聞かせてください。
丸山(賢) メニューを見ていただければ分かりますが、一般のお食事店が出しているような定食物も作って出しています。寿司店というイメージが定着していて、なかなか召し上がっていただけないのですが、単身赴任の人や独身者が気軽に夕食ができる店、休みの日に家族で食べに行ける店を目指したいと考えています。
カツ丼は秋田から無菌室飼育の豚肉を取り寄せています。特有の臭いがなく、甘みがあります。卵も2個使っています。
昼限定ですが、うどんと丼物を組み合わせた「昼丼セット」も出しています。ミニカルビ丼、ミニ天丼、ミニうな丼などを、秋田の「稲庭うどん」との組み合わせで味わえます。「稲庭うどん」は乾麺を取り寄せており、細いが腰があってうまい麺です。
将来的には、ボリュームがあり、栄養のバランスにも配慮した、おふくろの味のような料理を提供できたらいいですね。「まかない定食」みたいなネーミングにして、誰もが気軽に立ち寄れ、どんな料理が出るのかお客さんも楽しみな店にしたいと考えています。

延岡商工会議所

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