(会報2009年10月号掲載)
加盟会員インタビュー(43)業界奮戦記
三野製麺所
店主 三野 吉照(77)
三野製麺所
店主 三野 吉照(77)
【のべおか日曜朝市の定着に功績 安心・安全な食を守り続ける老舗】
―北小路の三野製麺所におじゃましています。これまでの歩みを教えてください。
三野 製麺所を始めたのは祖父の林吉です。2代目が父の寅一で、私は3代目。創業は覚えやすいように大正10年10月10日にしていますが、実際はそれより前でした。
祖父は槙峰鉱山で職長をしており、定年し退職金で北小路に家を建てました。父は旧制・延岡中学を4年で辞め、東京に出て早稲田大学の手甲(予科)に入り、卒業するとすぐに兵役に取られました。そのため戦時中は、祖父母と母、2人の叔母、5―6人の従業員で店を守っていました。祖父は昭和17年ごろに亡くなりましたので、私も小学校6年生ぐらいの時には製麺所を手伝うようになっていました。

―店を継がれたのはいつですか。
三野 昭和33年ごろ、26歳の時です。
当時、私は大学の入学試験に合格していましたが、兄は徳島高専に行き、弟は「製麺所なんて継げない」と大阪に出て行ったため、なかなか親に言い出せません。ほとぼりが冷めた頃、合格通知を親に見せたら「こんなご時世、製麺所を継ぐ必要なんてない。大学に行けば良かったのに」と叱られたのを覚えています。
―製麺所を経営される上で重視されていることがありますか。
三野 将来は食品添加物の時代が来ると考え、昭和43年に横浜の日本配合飼料研究所の研修員になりました。その時の経験から、食品添加物を一切使用しないということを貫いています。添加物を使わないとシャキッと腰のあるうどんができますが、使うと真っ白でベチャとしています。
食品添加物を使っても健康被害はないと言われていますが、一つなら関係なくても、食べ合わせというか相乗効果で関係が出てくる場合があります。製麺業者の中にも、コストを下げるため2級品の粉を使い、色が黒くなるのを防ぐため添加物、増量剤を入れている所もあります。市民の皆さんはそうした現状を知らずに食べていますし、作る側も何も知らずに作っています。知って作っていたらそれこそ怖いことです。食品を扱う以上、医学の知識もいくらかないといけません。
10年かかるか20年かかるかは分かりませんが、いずれ少々高くても安全なものを求める時期が必ずくると思っています。それまでは今のポリシーを絶対守っていきたいと考えています。
―のべおか日曜朝市の会長として昨年3月に延岡商工会議所のふるさと功労賞を受けられました。
三野 日曜朝市は昭和57年にスタートし、今年で27年目を迎えます。
当時、市内各地で朝市が開かれていましたが、どれも長続きしませんでした。地場産業開発協議会も農協とタイアップして朝市をしようとしましたが、なかなかうまくいかないため、どうしたらいいものかと当時延岡駅前で朝市を開いていた私たちに相談に来られました。
そこで私と当時市議会議員だった矢野鶴実さん(故人)で始めたのが市役所前での日曜朝市です。矢野さんは議員でしたので、民間の私が会長を引き受けることになりました。発足した年に地場産業協議会の中に日曜市運営協議会を作りました。
当時の早生隆彦市長にお願いし、市役所前に放送設備を整備してもらいました。また、市庁舎を開放してもらい、トイレを使わせてもらうようにしました。ああいうイベントを開く時に、一番考えないといけないのがトイレの確保ですから。

―日曜朝市の今後の展開を教えてください。
三野 高齢化が進み一時期は100店舗まで増えた出店者が、最近は36店舗にまで減ってきました。
市役所のある川中地区自体も空洞化が進んでいます。しかし、そこで生活し朝市を頼りにしてくれている人たちがおり、その人たちのためにもまだまだやめるわけにはいきません。そこで今、いろんな戦略を練っているところです。10月からは北浦のあげみ業者が出店してくれることが決まりました。
今後は延岡商工会議所の協力などを得ながら、日曜朝市が第1、第3日曜日に実施されていることを広く告知できるようなポスターを制作し、市内のホテルや旅館、商店などに張ってもらえないかと考えています。
会議所や市役所などのバックアップを仰ぐことで、出店者や来店者の意識を高めていきたいと考えています。
・延岡商工会議所のホームページ

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