(会報2010年6月号掲載記事)
民宿 紺碧(須美江町)
甲斐 寿夫さん(55) 幸子さん(52)

―須美江町の民宿「紺碧」におじゃましています。新鮮な海の幸が味わえる民宿として人気を集めています。創業の経緯を教えてください。
幸子 昭和55年6月に結婚し、夫婦で「海の家」を始めたのが最初です。その後、須美江家族旅行村の整備で海の家が撤去されることになり、昭和60年6月から民宿として再スタートしました。
海の家を始めたばかりの時はお客さんも少なく寂しい状況でしたが、2年目からパラソルを置いたり、店の構えを工夫したりした成果か、徐々にお客さんも増え、毎年来てくださる固定客ができるようになりました。
―当時の須美江は、どんな状況でしたか。
幸子 民宿ができたころは、大変にぎわっていました。海水浴シーズンは芋の子を洗うような状態。当時は交通事情も悪く、「やっと来たのだから」と腰をすえ、じっくり遊ぶ人が多かったですね。
ボートも、それぞれの海の家が持っていたのに、順番待ちをしなければ乗れませんでした。各店がアルバイトを雇って対応していたぐらいです。
―グラスボートを運航していたこともありますね。
寿夫 平成元年から平成15年まで運航しました。島野浦で運航してグラスボートを譲り受け、須美江をスタートして島野浦を一周するコースで運航していました。
「ビーチの森すみえ」が開園した平成7年ごろが民宿営業のピークで、グラスボートも大にぎわいでした。夏場は1日3便の運航でしたが、さらに臨時便2便を出すこともあり、多い日には1日の乗船者が200人を超すこともありました。
老朽化が激しく、莫大な維持経費がかかるようになりやむなく廃船にしましたが、今考えるとグラスボートが無くなったことが、延岡にとって一番もったいないことだったと思います。
サンゴなど延岡の海にはたくさんの観光資源があるのに、それらをじかに見ることができるのはダイバーの人たちなどほんの一握りです。グラスボートだと、たくさんの人にそうした資源を見ていただくことができますから。
大人1000円、子供500円という低料金で、海蝕洞の千貫目を通り抜けたり、テーブルサンゴやオオスリバチサンゴを間近に見られる貴重な機会でした。

―観光地引き網漁を始めたのはいつからですか。
寿夫 グラスボートをやめた翌年、平成16年からです。宮崎県が地引き網漁に対し許可を出してくれることになり、延岡市漁協が許可を取り、私が委託を受ける形で、市水産課と協議して金額、規模、期間を決めて取り組むようになりました。
もともと須美江には、江戸時代から地引き網をしていた歴史があります。元網、新網の2網があり、交代で漁をしていていたのですが、新網の方はいつも漁がないことなどから、村を二分するいさかいになっていました。当時の普門寺の住職が、仲良くやっていくようにと浜に小さな経塚を作り、真砂石に法華経八巻を書いて埋め、和の心を説いたという話が伝わっています。それを復活させたいという話が以前からあり、県が許可を出してくれたのです。
―東九州伊勢えび海道の加盟店にもなっていますし、県の水産ブランドに認定された「一口あわび 浦の恵」の栽培にも一番早く取り組んだと聞いています。
寿夫 3年前から東九州伊勢えび海道に加入しました。今年で4年目を迎えますが、お客さんは年々増える傾向にあります。
平成15年から始めた一口アワビ「浦の恵」はまだ軌道に乗っていませんので、養殖や販売方法について、もう少し本腰を入れていかないといけないと考えています。加工についても工夫してやっていきたい。
―幸子さんは一昨年、「農林漁家民宿おかあさん100選」に選ばれました。
幸子 過大に評価した記事をたくさん載せていただき、「私でいいのかな」とも思いましたが、選定を励みにさらに頑張らないといけないと考えています。
水揚げした魚を使うため、少々待たせることもありましたが、新鮮な魚を生きているうちに調理し、少しでもおいしく食べていただけるように腐心してきました。一回来たお客様が掛けてくれる「おいしかった。また来るわ」という言葉に、励まされて今があると思います。
延岡商工会議所のお力添えで「海賊丼」や「浦の恵丼」を出すようになりました。今後は、一口アワビを使った御膳物なども考えていきたいと思っています。













