飫肥城


「城下町の風情と情緒のある町」飫肥は、伊東氏5万1干石の城下町として栄えた「九州の小京都」。石垣や蔵、武家屋敷、商人通り、武家屋敷通りなどゆっくりめぐってはいかが。徒歩かレンタサイクルがおすすめです。

飫肥は戦国時代、飫肥城の覇権をめぐって伊東家と島津家の間で激しい合戦が繰り広げられ、合戦は80余年にわたって続きました。伊東義祐は、飫肥城主の島津忠親を打ち破り、念願であった飫肥城を奪いますが、すぐに島津氏の手に戻りました。

その後、天正16年(1588年)、豊臣秀吉の命により、義祐の子・祐兵(すけたけ)が伊東家の居城として入城し初代藩主となり、飫肥城下の建設に取りかかりました。飫肥城下は四方を山に囲まれた小盆地に位置して、酒谷川が城下町の東、南、西を蛇行して取り巻き、外堀の役割を果たしています。飫肥城に近い方から、上級、中級家臣、町家、下級家臣の屋敷地となっています。以降、明治初期まで280年間、伊東家は14代にわたって飫肥藩を治めました。

飫肥城は、寛文2年(1662)の大地震をはじめ、3度の地震が襲いました。そのために大規模改修を余儀なくされました。新しい館となる建物は元禄6年(1693)に完成。飫肥藩伊東家の中心施設としてきました。明治維新間もない明治2年(1869)、伊東家が大手門前の豫章館に移り、明治6年(1873)には、飫肥城内の建物全てが取り壊されました。

取り壊された大手門は昭和53年(1978)6月に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元されました。飫肥城の玄関として勇壮を誇っています。復元工事中に正徳3年(1713)の碑文が発見されて、大手門内側に保存されています。 また、同復元時期に歴史資料館の建設も行われました。とりわけ歴史資料館には、城下町に大切に保管されていた刀剣や甲冑などが寄託資料として寄せられました。また、これらの施設の総事業費の約半分は、市民や市出身者、有志企業からの募金で賄われました。歴史資料館が完成した昭和53年には、飫肥城下町の一大イベントとして『飫肥城下まつり』が始まりました。

城跡の敷地内には、「歴史資料館」や「松尾の丸」があります。また、大手門に向かって左手には、明治になって城主が移り住んだ「豫章館」。右手には飫肥藩の学問所・藩校「振徳堂」や武家屋敷、石垣が残っており、特に小京都らしい趣が漂っています。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。(飫肥駅より車で3分)

 

その他リンク先は下記から

◆飫肥城下町保存会◆→「食べあるき・町あるき」についてはこちらから

◆日南市観光協会◆